【第6章③】行為は滅びない

「自業自得」の「業」とは「行為」のことですが、私たちが何か行為をすると、それは目に見えない「力」となって私に残り、決して消えないとブッダは説きます。これを「業力不滅」といいます。

「人がもしも善または悪の行いをなすならば、かれは自分のした一つ一つの業の相続者となる。実に業は滅びないからである。」(『ウダーナヴァルガ』)

 ここで「業の相続者」といわれているように、私たちは自分の「業」を、この世も来世も、どこまでも引き継ぎます。自分が死ねば、建てた家や築いた財産は他人が相続していきますが、「業」だけは自ら相続しなければならないのです。
「業力」は決して消えないから、必ず自分が報いを受ける。天に唾したり、風に逆らって土を蒔けば、すべて我が身に返ってくるように、「蒔いた種は必ず生える」というのが因果の道理です。

「何者の業も滅びることはない。それは必ずもどってきて、(業をつくった)主がそれを受ける。」(『スッタニパータ』)

 警察から逃げようと、どこへ隠れようと、悪業の報いを免れることはできません。

「大空の中にいても、大海の中にいても、山の中の奥深いところに入っても、およそ世界のどこにいても、悪業から脱れることのできる場所は無い。」(『スッタニパータ』)

 自分がつくった業は、影がついてくるように寄り添って離れず、肉体が滅びても消え去ることはないのです。

「生きとし生ける者どもは死ぬであろう。生命は終には死に至る。かれらは、つくった業の如何にしたがっておもむき(それぞれ)善と悪との報いを受けるであろう。」(『ウダーナヴァルガ』)

 こういう道理を無視して、来世の報いなど無いと考える人は、どんな恐ろしいことでもします。例えば、銃を乱射して大量殺人の果てに自殺するような人は、死ねば造った大罪も無になると信じているのでしょう。

「彼岸の世界を無視している人は、どんな悪でもなさないものは無い。」(『ダンマパダ』)

 しかし、この肉体が滅すれば、何人も殺した罪まで帳消しになると考えるのは、あまりにも自己中心的な、都合のよい考えです。今生で受けなかった報いは、必ず来世に受けなければならないと、ブッダは説いています。

「悪い事をしても、その業は、刀剣のように直ぐに斬ることは無い。しかし、来世におもむいてから、悪い行ないをした人々の行きつく先を知るのである。のちに、その報いを受けるときに劇しい苦しみが起る。」(『ダンマパダ』)

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