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王がすべてを失った原因

 全盛を極めたリディア王クロイソスは、ペルシアに敗れ大帝国をまるごと失い、一夜にして捕虜に転落しました。なぜ、そのような不幸が王を襲ったのでしょうか。
 ヘロドトスは、先祖の不正がクロイソスに災いをもたらしたと説明します。クロイソスから五代さかのぼったギュゲス王が罪を犯したために、その報いで悲劇が起きたというのです。
 ギュゲスは初めは、リディア王カンダレウスの側近として仕えていました。カンダレウスは妻を溺愛し、世界一の美女と信じていたので、腹心のギュゲスに妻の自慢ばかりしていたといいます。ついに王は、こんなことを言いました。
「ギュゲスよ、お前は私の妃がどれほど美しいか、いくら聞かせても信じぬようだが、ひとつ妃が着物を脱いだところを見みがよい」
 驚いたギュゲスは大声を上げます。
「王よ、なんと分別のないお言葉でしょう。およそ女は、下着とともに恥じらいも脱ぐもの。古人も『おのれのもののみを見よ』と申しております。お妃さまはこの世で最高の美女でおわしますと、私も確信しておりますゆえ、なにとぞ無法なことを仰いませぬよう」
 しかしカンダレウスは許しません。
「心配にはおよばぬ。妻が絶対に気づかぬよう、わしが手配しておこう。寝室の扉を開けておくから、その後ろに隠れるがよい。入り口近くの椅子に、妃が一つずつ着物を脱いで置いてゆくから、お前はゆっくり眺めることができる。それから妃が寝台に向かって振り向いたすきに、部屋を出るのだ」
 結局、断り切れなかったギュゲスは、覚悟を決めました。その夜、寝室に忍び込んだギュゲスは、妃の露わな姿を覗きましたが、最後逃げ出すところを妃に見つかります。女性にとって最大の屈辱を受けた妃は、気づかぬふりをして、内心で夫への復讐を誓いました。
(続く)

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親の因果は子に報うか

 翌朝、さっそく妃はギュゲスを呼びつけ、こう命じたのです。
「ギュゲスよ、そなたには進むべき道が二つあるが、どちらを取るかはまかせましょう。カンダレウスを殺して、私とこの国を手に入れるか、さもなくば、ただちにこの場で死ぬか。このようなことをたくらんだ夫か、私を辱めたそなたか、いずれかが死なねばなりません」
 しばしぼう然としたギュゲスは必死に許しを請いましたが、受け入れられず、やむなく生きながらえる道を選びました。
「お妃さまが、どうしてもご主君を亡き者にせよと仰いますので、お伺いいたしますが、どのようにして殿のお命を奪ったらよろしいでしょうか」
「お前が私の肌を覗いた、同じ場所から襲ったらよい。眠っているあいだにしとめるのじゃ」
 妃はギュゲスに短剣を渡すと、寝室の扉に隠れさせました。かくて王を殺したギュゲスは、妃と王国をわがものとしたのです。
 この時ギュゲスが犯した罪が、子孫のクロイソスに不幸をもたらしたのだと『歴史』には伝えられています。
 もちろんこれは運命についての一つの考えであり、プラトンはまったく違う考え方をしました。プラトンによれば、ギュゲスの行為の結果は、あくまでギュゲス本人が受けなければなりません。
 プラトンによる、ギュゲスの別の物語を聞いてみましょう。

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自業自得を説いたプラトン

 人間の運命は何によって決まるのか。しばらくプラトンの代表作『国家』を通して、考えてみましょう。
 この対話篇では、ソクラテスと議論していたグラウコンという人が、ギュゲスという羊飼いの話をします。同名なので紛らわしいですが、このギュゲスは、ヘロドトスが『歴史』で伝えたギュゲス王の祖先です。
 羊飼いギュゲスは、当時のリディア王に仕えていましたが、ある日、大雨と地震でできた牧場の穴で、黄金の指輪を拾います。その指輪の玉受けを内側に回転させると、自分の姿が透明になり、反対に回すと元どおり見えるようになりました。ギュゲスは指輪を悪用し、王妃と通じた後、王を殺して自らリディア国を支配したといいます。
 透明人間になれば、盗みも殺人も望みのままでしょう。この物語を例に出してグラウコンは、誰にも罰せられない身になり、何でもしたい放題の自由を得た者は、必ず悪に走ると主張します。もし、こんな素晴らしい力を持ちながら、不正をしない者がいたら、大馬鹿者だと言うのです。

 私たちが万引きや人殺しをしないのは、警察や他人に見つかったら処罰されたり非難されて苦しむからではないでしょうか。しかし、もし絶対に見つからない保証があったり、見つかっても平気な身分だったとしたら、どうでしょう。それでも罪を犯さず、正義を貫くでしょうか。
 さすがに透明人間にはなれませんが、大富豪なら、犯罪を犯しても有能な弁護士をやとって無罪を勝ち取り、自由を買えることもあります。警察以上の権力を持っている独裁者なら、誰も逮捕できません。
 実際、600万人のユダヤ人を虐殺したヒトラーに限らず、強大な権力を握った人間は、桁外れの大罪を犯しています。「東洋のヒトラー」と呼ばれカンボジアを恐怖に陥れたポルポトは、総人口800万の小さな国で、200万から300万の人を惨殺しました。
 他人から罰せられない身になれば、たちまち悪に走るのが人間の本性でしょう。だからグラウコンは、強い人間は好きなように振る舞えばよいのであり、何も恐れる必要はないと主張します。

 それに対しソクラテスは、たとえ他人から処罰されない力を得たとしても、悪を犯してはならないと主張します。たとえ生きているあいだ、人間に罰せられることはなかったとしても、死んだ後に報いを受けなければならないからです。

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「運命」の考え方が生き方を決める

「運命」が何によって決まるかは、いろいろな考え方があります。

 ヘロドトスは、ギュゲス王が裏切りを働いた時点で、子孫のクロイソス王が不幸になることは決まっていたのだと伝えています。もし先祖の行為によって、自分が不幸になると定まっているのであれば、真面目に努力しようという心は起きないでしょう。

 神が運命を与えると信じる人もいますが、クロイソス王にソロンが「私は神と申すものがねたみ深く、人間を困らすことのお好きなのをよく承知いたしております」と語っていたように、神の与える運命は、気まぐれとしか思えません。自分の運命が、「意地悪な神の意志」という、ほとんど偶然に近いもので決まっているのであれば、やはり生きる力がなえてくるのではないでしょうか。

 グラウコンのように、人間の目だけ気にして、世間から処罰されなければ、不正をしてもよいという極論もあります。「悪いことをしても、バレなければいい」と思っている人は、極端な言い方をすればグラウコンと同じことを考えているのです。

 ソクラテスや、その弟子プラトンは、人間に評価されるされない、罰せられるされないに関わらず、正義を貫くべきであり、不正をしてはならないと説きます。社会が自分をどう評価するかは、この世だけのことです。善をすれば、たとえこの世で評価されなくても、死後に幸福になるのであり、悪をすれば、権力や弁舌で処罰を逃れたところで、死後に報いを受けなければならないのです。このように考える人は、あてにならない人間の目は気にせず、真剣な生き方をするでしょう。

「運命」や「善悪」の関係をどう考えるかによって、生き方はまるで違ってきます。
「生き方」の違いは、「運命」や「善悪」に対する考え方の違いなのです。どの考えが「正しい」と証明することはできないでしょう。
「証明」でなく「選択」を、一人一人がしなければならないのです。

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