●ラッセルの語る「哲学の効用」
「宇宙には計画や目的があるのか、それとも原子の集まりにすぎないのか」
「人間は、限りなく成長してゆく宇宙を構成する、意味のある存在なのか、やがて消え去る一時の偶然なのか」
「善悪は人間が決めたものにすぎないのか、人間の思いと無関係に宇宙を貫いている法則なのか」
これらの問いに、哲学は論理的な答えを出したとはいえないでしょう。
ハッキリしたことは何も分からない哲学に、価値などあるのでしょうか。ラッセルは、哲学によっては確実なことが分からないからこそ、哲学はプラスになるのだと言います。哲学と無縁な人は、ただ常識や習慣をうのみにしているだけで、偏見に満ちた生活を送っているにもかかわらず、自分は世界のことをわかりきった者のように思って、安心しているのです。
ところが哲学を始めるや、当たり前と思っていたことにも疑いが生じて、視野が広がるのです。たしかに、「私は真実を知っている」という確信は減りますが、思い上がった独断が取り除かれ、物事の意外な面を知る驚きがあります。これがラッセルの語る、「哲学の効用」です。
実際、哲学の価値は大部分その不確実性に求めるべきものです。哲学と無縁なものは、常識に由来したり、年齢または国籍による習慣的信仰からきたり、かれの慎重な理性の協力または同意をえないままに心中成長した確信から出てきたりする偏見にとらわれて生涯を送ります。このような人には、世界は確定的で有限で、わかりきったものになりやすいものです。ありふれた事物は問題を提起せず、不慣れな可能性は軽蔑的に拒否されます。これに反し哲学をし始めるやいなや、初めの各章でみたように、もっともありふれたものでさえも大変不完全な答しか出てこないような問題につながっていることがわかります。哲学はそれが提出する疑問に対して、確実性をもって何が真かを教えることはできませんが、わたしたちの思考を拡大し、それを習慣の暴虐から解放するいろいろな可能性を示唆することはできます。したがって、事物がどんなものかについての、わたしたちの確実性の感じを減らしはしますが、事物はどんなものでありうるかについての、わたしたちの知識を大いに増します。それは、閉ざされた局面から人を解放する懐疑の領域に踏み込んだことのない人たちの幾分尊大な独断を取り除き、なじみ深い事物の、なじみのない面を示すことによって、わたしたちの驚異感をかきたてつづけるのです。(ラッセル『哲学入門』158-159頁)