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自由とは「自らに由ること」

 先に「自由」とは、「限られた選択肢の中から、自分でよく考えて決断すること」だといいました。

 私たちには、自分の「権力」や能力に応じた「選択肢」しか許されていませんが、選択肢が多い少ないより、もっと大事なことがあります。
「自分でよく考えて決断すること」です。

 どんなに選択肢が多くても、よい選択ができなければ意味がありません。お金があれば、有名ブランドの洋服を好きなように買えますが、選ぶセンスが悪ければ無駄遣いに終わるでしょう。裕福だからと高級レストランで食べたいように食べていたら、病気になって食事制限が必要となり、普通の人の何倍も不自由になってしまうかもしれません。

 着たい服を着て食べたいものが食べられることは、たしかに魅力的なことですが、そういう生活ができる「力」を手に入れる前に、まず身につけなければならないのは、「何を選ぶべきか」を知る力ではないでしょうか。
「選択肢」を増やすより、「選択眼」を得ることが「自由」への道です。

最強の者が最も無力

「権力」を握れば、気に入らない人を殺したり、欲しい物は奪い取ることも可能になります。絶大な権力は、絶大な自由をもたらすように見えますが、それは錯覚です。
 プラトンは『ゴルギアス』の中で、したい放題のことができる強大な権力をえた独裁者は、最大の力を持っているように見えますが、実は最も無力だと論じています。
 もしその独裁者が、自分が望んでいるものを、望み通り手に入れているのであれば、幸せでしょう。ところが実際には、彼は自分が本当に願っているものは、何一つ手に入れていないのです。
 どんな人も、望んでいるのは「幸福」です。苦しい思いをして働くのも、お金が手に入れば好きな物が買えて幸せだと考えるからでしょう。財産や名誉を必死に求めるのは、幸福になりたいからにほかなりません。
 強大な権力を得た独裁者は、えてして力を悪用して、気ままに人を死刑にしたり、財産を没収したりするものです。しかし悪事を働けば必ず悪い報いがあるのであり、悪の限りを尽くした独裁者は、決して「幸福」にはなれないとプラトンはいいます。だから独裁者は、「幸福」を望みながらも、最後は「不幸」になるのであって、望みは何一つ叶えることができない、最も無力な人なのです。

もし権力を手にしたら

 多くの人は「権力」を握れば「自由」になれると思っていますが、ただ力さえあればよいのではありません。
 自分の能力や体力、財産を何に使えば「幸せ」になれるのか、使い方を知ることが先決です。権力を手にしたのをいいことに悪を重ねていては、「自由」にも「幸福」にもなれないでしょう。
 何度も繰り返してきたように、「力」のある人ほど選択肢は多くなります。普通の人には、「嫌いな人を殺す」という選択肢はありません。相手を上回る体力がなければ逆に殺されてしまいますし、警察に捕まったら一巻の終わりです。しかし、いくら独裁者になって、警察も恐れず人を殺せるようになったとしても、そんな選択をすべきではありません。
 では、もし私たちが力を手にしたら、どう使えばよいのでしょうか。どんな決断をすればよいのでしょうか。

「自由」に生きる知恵

 もし透明人間になることができれば、泥棒にも簡単に入れますし、機密情報も手に入れることが出来ますから、何ものも恐れずに生活することができます。プラトンの『国家』の中で、ソクラテスと議論したグラウコンは、透明人間になった者は、悪ばかりするに決まっているのであり、人間というものは力さえあれば悪をする者だと論じました。警察が恐いから、仕方なく悪をしないだけで、警察以上の力さえあれば、好きほうだい悪に走るのが人間だというのです。
 それに対してプラトンは、悪をすれば報いがあるから、たとえ力があっても悪事をしてはならないと主張しました。独裁者によって、無実の人がむざむざと殺されたとしますと、殺された人は最も惨めな存在に思われますが、実際は殺人の報いを受けねばならない独裁者のほうが確実に不幸になるのだとプラトンはいいます。
 権力やお金があれば、好きなことができて幸せだと思っている人びとに対して、プラトンは「善」をする人こそ「幸福」になる人であり、権力だけ手に入れて悪に走る者は最も不幸なのだと説きました。
 ここに、私たちが本当の「自由」になるカギがあります。ただ権力さえ手に入れればよいのではありません。自分の力を、「善」に使ってこそ「幸福」になれるのではないでしょうか。
 自分の力を何に使うか、自分でよく考えなければ幸せにはなれないでしょう。選択肢が多い少ないを問題にする前に、正しい選択をする知恵が必要なのです。
 自由とは、限られた選択肢から、自分でよく考えて決断することですが、正しい決断をするには、「何をすれば幸せになれるか」を知らなければなりません。

「自由」に生きるためには、「何をすれば幸せになれるか」を知らなければならないのです。

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