次に、運命は偶然によって決まるという考えを検討してみましょう。運命と行為の間に関係や法則はないと考える点では、神によって運命が与えられるという教説と同じです。
「善い行いをすれば、幸福という善い運命が現れる」と確信できないのは、「正直者がバカを見る」ということがあるからでしょう。人知れず真面目に働いているのに、評価されない人がある一方で、自分の功績をアピールするのが上手な人は出世します。世の中には、ずる賢い人がたくさんいますから、正当なことばかりしていると、どんどん出し抜かれて損をします。
逆に、悪逆非道を重ねたのに、最後まで捕まらなかったり、裁判にかけられても有能な弁護士を雇って、金で自由を勝ち取る人もいます。これでは、運命は偶然によって決まるといいたくなります。
「あの人は運がいい」「私は運が悪い」といいますが、その「運」は何によって決まるのでしょうか。もし運命が偶然によって決まるとすれば、真面目に努力しようという気持ちは起きません。しかし実際には、良い運命が来たときに、「これは偶然だ」とは思う人はいないでしょう。「運も実力のうち」などといって、結局は自分の努力という、良い行為の結果だと思っています。
一方、悪い結果が来たときは「運が悪かった」「あいつのせいだ」と片づけて、自分の行為の結果だとは思いません。
だから、「運命」についての私たちの考えは、一貫していないのです。実に「都合がよい」考え方をしています。この場合、「都合がよい」とは、「自分が長生きしたり、子孫を残したりするのに役立つ」ということです。
厳しい生存競争を勝ち抜いて、ライバルを倒すには、
失敗したり災難に遭ったときに、これは自分が百パーセント悪かったのだと反省したら、とても立ち上がることはできません。不幸の壁にぶつかって止まってしまうより、他人のせいにして気持ちを切り替えて、次の目標に向かった方が早く窮地を脱することができます。いつまでも過去を悔やんでいては再出発できないので、すぐに思考を切り替えて「自分は悪くないんだ、私はまだまだ行ける!」と楽観的になれるように、私たちの脳はできているのです。
人間は頭がよいように見えますが、本当は「正しい考え方」ではなく、「子孫を残すのに有利な考え方」をしています。私たちの「脳」は、あくまで「進化」の産物であり、子孫を効率よく残すための道具です。真理を探求するための道具ではありません。
脳は「真理」ではなく「子孫」を求めています。自分の脳にだまされないようにしましょう。