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幸福になる六つの道⑤

5 落ち着いて反省する
「六波羅蜜」の第5は「禅定」です。「禅」とは、サンスクリットの「ディヤーナ」に漢字をあてたもので、意味は心を静めることです。中国では、これを「定」と訳しました。
「禅定」とは今日の言葉でいえば、「反省」です。
みずから自分を反省せよ。修行僧よ。自己を護り、正しい念いをたもてば、汝は安楽に住するであろう。(『ダンマパダ』379)
 あれやこれやと雑多なことを考えて、心が散り乱れていては、正しい判断はできません。落ち着いた精神で、自分の言動を「反省」することを「禅定」といいます。
「禅定」と聞くと、座って瞑想する「座禅」が思い浮かびますが、ただ山にこもって、木や石に囲まれて精神統一することが「禅定」ではありません。
 ブッダ在世中に、ヴィマラキールティ(維摩)という富豪がいました。俗人でありながら仏教の洞察が深く、ブッダの高弟を幾度も、やり込めています。
 ある日、仏弟子の中で智慧第一のサーリプッタ(舎利弗)が、静寂な林で座禅をしていると、ヴィマラキールティの姿が目に入りました。また何か嫌みを言うのではなかろうかと、見ぬふりをしていると案の定、近よって意地悪な質問をします。
「舎利弗さん、そこで何していられるのかな」
 見れば分かることを、わざと聞くので面白くありません。
「座禅しているのだが……」
 無愛想に答えると、散乱しているサーリプッタの心を見抜いたヴィマラキールティは、こう一喝しました。
「なに座禅、それが座禅とな。もし身体を動かさないのが座禅なら、山の樹木も立派に座禅していることになる」
 かくて座禅の本旨をじゅんじゅんと説くと、サーリプッタは言葉に窮し、何の返答もできなかったと言います。
 形にとらわれていては、真の禅定になりません。自分は正しいことを思い、正しい考えに基づいて行動しているか。己の言動を心静かに振り返る「反省」を、ブッダは勧めているのです。

幸福になる六つの道⑥

6 「智慧」ある正しい行いを
 第6の「智慧」は、大宇宙の真理である因果の道理を明らかに知り、正しく考え、正しく行動することをいいます。真理を知る正しい智慧を得て、身を正す「修養」です。
最上の真理を見ないで百年生きるよりも、最上の真理を見て一日生きることのほうがすぐれている。(『ダンマパダ』115)
真実は、実に諸の飲料のうちでも最も甘美なものである。明らかな知慧によって生きる人は、生きている人々のうちで最もすぐれた人であると言われる。(『ウダーナヴァルガ』10.3)
 私たちは、智慧がないために、どれだけ愚かな失敗を繰り返しているか分かりません。智慧という「無形の財産」が、いかに大きな幸せをもたらすか、ブッダは『阿育王譬喩経』に、こんな例えで教えています。
 昔、ある賢明な国王が、一層、よい政治を行いたいと考え、家来に命じました。
「隣の国に行き、わが国には無い物で、何か国民のためになるものがあれば、買ってくるのだ。値段のことは考えなくてよい。それで皆を幸福にしたいと思う」
 家来は言いつけ通り、隣国をくまなく探しましたが、さすがに自分の国にないような物は、見つかりませんでした。やむなく空手で帰ろうとしたとき、立派な構えの店が目に入りました。見ると老翁が座っているだけで、何も商品は並んでいません。ここなら珍しいものがあるに違いないと思い、何を売っているか尋ねると、老人は答えました。
「こちらでは形のない品物、智慧を売っておりまする」
「それは珍しい。わが国には無いものだ。その智慧とやらは、一体いくらか」
「少々、高うございますが、五百両、頂ければ、すぐお分けしましょう」
 金の心配は無用と言われていたので即金で払うと、老人は「それでは、お渡しします」といって、こんな言葉を口にしました。
「物事は落ち着いて考え、道理を見極めよ。決して、すぐ腹を立てぬように」
 老人は、「今は要らなくても、必ず役立つ時がきましょう」と付け加えましたが、家来は内心、がっかりしました。「少し高すぎた」と思ったものの、今さら取り消すこともできません。この言葉を忘れないよう、頭の中で繰り返しながら帰途につきました。
 数日たった夜、やっとわが家にたどり着くと、疲れて帰ったにもかかわらず、妻は顔を見せません。玄関には、見慣れぬ下駄が一足あります。とたんに怒りの炎が燃え上がりました。
「さては、長旅をいいことに、男を連れ込んだな!」
 憤怒に髪を逆立て、奥の部屋へ駆け込もうとしたとき、翁の言葉が思い出されました。
「いや、待てよ。五百両の智慧は、いつか必ず役立つと言われていたが、こんな時のことではないのか」
 すぐ腹を立ててはならない、落ち着いて考えよ。頭を冷やして妻の部屋に入ると、妻は夫の留守中に病気になり、やむなく里から母が看病に来てくれていたのでした。男は突然、家の外へ飛び出し、大声で叫びました。
「ああ、これは安い、これは安い!」
 不審に思った母親が尋ねると、男は智慧を買った経緯を話しました。
「もし私が、五百両であの智慧を買っていなかったら、今頃は母上も妻も、生きてはいなかったでしょう。千万両出しても買えない二人の命が、わずか五百両で助かったのです。これほど安いことはありません」
 これは、一句の智慧が、千金に勝ることを例えたものです。私たちが、すぐに腹を立てず、落ち着いて因果の道理を思い出して生活したら、社会の不幸は、どれだけ防げるか分かりません。
 正しい智慧から、正しい行いが生まれるのです。
 以上あげた六つの「善」は、どれか一つを実行すれば、残りの五つも修めたことになります。だから「これなら自分にもできそうだ」と思う、一番やりやすい「善」を実行しなさい、とブッダは勧めています。
「六波羅蜜」をまとめると、人に親切で言行一致に努め、忍耐強く努力家で、反省をおこたらず言動を正す人に、落伍者はありません。反対に欲深くて施しを知らず、言うことと行う事が逆で、すぐ怒り散らし、楽に溺れた生活をして反省もなく、生活を改めない者は、成功するためしはない、ということです。
こころはふるい立ち、思いつつましく、行いは清く、気をつけて行動し、みずから制し、法にしたがって生き、つとめはげむ人は、名声が高まる。(『ダンマパダ』24)
身に適したふさわしいことを為し、重い荷に堪え、努力する人は、財を得る。真実をまもることによって、良い評判を得、ものを与えるならば交友を結ぶ。(『サンユッタ・ニカーヤ』1.10.12)
 六つのうち、どれか一つでよいから一生懸命やりなさい。その結果は、やった本人のものになるのだから。このようにブッダが善を勧めたのは、私たちに実行させるためです。
善く説かれたことばでも、それを実行しない人には実りがない。(中略)実行する人には、実りが有る。(『ダンマパダ』51-52)
 善を実行する人には、必ず幸せの花が咲く。ブッダの生涯、教え勧めたことでした。

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