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『パイドン』「私」と「肉体」は違う

パイドン―魂の不死について (岩波文庫)
プラトン
岩波書店
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 死刑判決を受けたソクラテスが、死の直前に、そこに居合わせた人と交わした対話を描いたのが、プラトンの『パイドン』です。
『パイドン』でソクラテスは、「肉体」より「私」(=魂)を大切にすべきことを説きます。
 その対話の最後に、登場人物の一人クリトンが「どんな風に君を埋葬しようか」といったとき、ソクラテスは、こう語りました。
「諸君、僕はクリトンを説得できていないらしい。僕とは、今ここで対話をしながら、議論のひとつひとつを秩序づけて配置している、このソクラテスでる、ということをね。むしろ、かれは、少し後で死体として眺められる者が僕なのだ、と思っている。(中略)言葉を正しく使わないということはそれ自体として誤謬であるばかりではなくて、魂になにか害悪を及ぼすのだ。さあ、元気を出すのだ。そして、僕の体を埋葬するのだ、と言いたまえ。そして、君の好きなように、君がもっとも世間の習わしに合うと考えるように、埋葬してくれたまえ」(上掲訳書170-171頁)
「私」と「体」は、正確に区別しなければならないというソクラテスの主張が、よく表れています。

『パイドン』魂の気遣いこそ大切

パイドン―魂の不死について (岩波文庫)
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「私」と「身体」が違うのであれば、「身体」が死んだからといって、「私」も死ぬとは限りません。もし「私」は「身体」が死んだあとも続くのであれば、その「私」の運命こそ、最も心配しなければならないことです。
『パイドン』でソクラテスは、この肉体のことだけでなく、未来まで続く魂のことを心配し、大切にしなければならないと訴えています。
もしも魂が不死であるならば、われわれが生と呼んでいるこの時間のためばかりではなく、未来永劫のために、魂の世話をしなければならないのである。そして、もしもわれわれが魂をないがしろにするならば、その危険が恐るべきものであることに、いまや思いいたるであろう。なぜなら、もしも死がすべてのものからの解放であったならば、悪人たちにとっては、死ねば肉体から解放されると同時に、魂もろともに自分自身の悪からも解放されるのだから、それは幸運な儲けものであっただろう。しかし、いまや、魂が不死であることが明らかな以上、魂にとっては、できるだけ善くまた賢くなる以外には、悪からの他のいかなる逃亡の道も、また、自分自身の救済もありえないだろう。(上掲訳書153頁)

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