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『パンセ』わきあがる倦怠

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 毎日、忙しいと、仕事や家事から解放されて、何もせずにぼうっとできたらよいのに、と思うことがあります。しかしパスカルは、そんなことをしたら、たちまち、空しい、暗い心がわきあがってくると言います。

 倦怠。──情念もなく、職務もなく、気ばらしもなく、勉励もなく、まったく休息しているほど、人間にとってたえがたいことはない。
 そのときかれは、自分のむなしさ、やるせなさ、物たりなさ、たよりなさ、力なさ、つれなさを感じる。
 かれの魂の奥底からは、たちまち倦怠、憂うつ、悲しみ、悩み、絶望がわきあがるであろう。
(上掲訳書62頁)

『パンセ』幸福なのは夢を追う過程

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「来てみれば さほどでもなし 富士の山」と詠まれるように、遠方から眺めれば秀麗な山も、登ってみると空き缶や散乱するゴミで、失望させられます。私たちの描く 「目標」も、遠くにあるときは素晴らしく見えますが、「やった!」とたどり着いた瞬間、何かが心に忍びよります。幸福を感じるのは、夢を追う過程ではないでしょうか。パスカルも、次のように言っています。

 われわれがよろこぶのは、戦いであって、勝利ではない。

 人は動物の闘争を見るのはこのむが、勝ったほうが負けたほうをいじめるのは見たがらない。勝利という目的以外に、人は何を見たかったのだろう。それなのに勝利がえられると、それに飽満する。賭けごとにおいてもそうであり、真理の探求においてもそうである。議論のときにも、意見をたたかわすことはこのむが、見いだされた真理をみつめることは少しもこのまない。(中略)われわれは事物を追求せずに、事物の探求を追求する。(上掲訳書63頁)

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