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『パンセ』気ばらしによる幸福

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260627 気ばらしによる幸福

 人間は、気ばらしがあれば、その間だけは、簡単に幸福になります。しかし、気ばらしがなくなり、自己を振り返る余裕ができると、とたんに空しさが広がります。世の中で「幸福な職業」といわれるのは、あまりにも忙しくて、自分自身を見つめる時間のない仕事だと、パスカルは指摘しています。

 人間はどんな悲しみに満ちていても、なんらかの気ばらしにうまく引きこまれさえしたら、そのあいだだけは幸福である。また人間はどんなに幸福であっても、倦怠が心のなかにはびこるのをさまたげるようななんらかの情念や娯楽によって気ばらしをしたり余事を忘れたりしなければ、やがて憂うつになり不幸になるだろう。気ばらしがなければ喜びはなく、気ばらしがあれば悲しみはない。そしてこれこそまた、自分の気をまぎらしてくれる多くの人を持ち、したがって、そういう状態に自分をつねにおきうる地位の高い人々が、幸福である理由なのだ。

 考えてもみたまえ。大蔵卿、大法官、高等法院長になるということは、早朝からほうぼうの人がたくさんおしかけてきて、一日のうちに一時間も自分自身をかえりみる余裕がないような地位につくことでなくしてなんであろう。(上掲訳書68頁)

『パンセ』気ばらしがなければ不幸

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 自分は、どこに向かって進んでいるのか。この先、どんな不幸や災難に遭うかわかりませんし、病気になることもあるでしょう。そして最後、死ぬことは避けられません。たとえ今、どんな幸福に囲まれていても、それらが崩れる時が刻々と近づいているのです。そんな危うい所にいる自分に気づいたら、とても今の幸せを喜ぶことはできません。  だから、たとえ王であっても、自分を見つめる時間ができてしまうと、不幸になるのだとパスカルは論じています。

 どんな身分を想像しても、われわれの所有しうるあらゆる利益をあつめてみても、世に王位ほどりっぱな地位はない。しかしながら、その王が、かれのうけるあらゆる満足でとりかこまれていると仮定しても、もしかれがなんらの気ばらしもなく、ただ自分が何ものであるかを沈思黙考させられるとしたら、この物憂い幸福はかれを活気づけることはできず、かれは自分をおびやかしている災い、将来おこりうる反逆、ついにはさけがたい死や病などにかならず思いをいたすであろう。そういうわけで、いわゆる気ばらしがなければ、かれは不幸であり、賭けごとや気ばらしをする臣下のもっともいやしいものよりも〔いっそう〕不幸なのである。(中略)  王は、かれの気をまぎらし、かれに自己省察をさせまいと考えている人々に、とりかこまれている。なぜなら、いかに王であっても、自分に思いをいたせば、不幸になるからである。(上掲訳書64-65頁)

 二千六百年前、インドのカピラ城の浄飯王の太子として、何不自由ない暮らしをしていたシッダールタ(後のお釈迦様)が、城を出て本当の幸福を求めたのも、このためでした。  今は若くて健康にも恵まれ、何不自由のない暮らしをしていても、老いと病と死のために、総崩れになってしまいます。それに気づいたシッダールタ太子は、もはや城の生活を心から喜ぶことはできませんでした。  どうすれば、老いと病と死を超えた、本当の幸せになれるのか。その解答を求めたシッダールタ太子は、勤苦六年の末、すべての人が真の幸福に救われる真実を体得し、ブッダとなられたのです。

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