« 2015年1月 | トップページ | 2015年3月 »

パンセ●私とは何か

パンセ (イデー選書)
パンセ (イデー選書)
posted with amazlet at 14.05.31
パスカル
白水社
売り上げランキング: 426,295

 もし恋人を、その外見の美しさゆえに愛している人がいるとしたら、「恋人を愛している」といえるでしょうか。そんな人は、恋人が病気や事故で醜い姿になったら、恋人を捨てる人です。

 恋人を、その判断力や記憶力が優れているから愛しているという人も、本当の意味で、恋人自身を愛しているのではありません。そういう能力を失っても、恋人は恋人のままです。

では、恋人の外見に引かれたのでもなく、能力に魅せられたのではないとすれば、恋人の「何」に惚れたのでしょうか。「美しい」とか、「頭が良い」とか、そういう性質を一切、取り払った「相手の魂」に恋をするというのは、無理なことです。結局、私たちは、「美しい」とか「判断力がある」とか、身についた特徴を愛しているのだと、パスカルは論じています。

〈わたし〉とは何か?(中略)

だれかをその美しさのゆえに愛する人は、果たしてその人を愛しているのだろうか? いな。なぜなら、天然痘がその人を殺さずに、その美しさをうばったら、かれはその人を愛さなくなるだろうから。

 もしまた人が私の判断力や記憶力のゆえにわたしを愛するとしたら、はたして〈わたし〉を愛しているのだろうか? いな。なぜなら、わたしはそういう性質を失っても、わたし自身をうしなわずにいることができるから。(中略)

 人はある人の魂の本体を、そのうちにどんな性質があろうとも、抽象的に愛することができるであろうか? そういうことはできもしないし、不当でもあろう。そうだとすれば、人はけっして人そのものを愛せず、その性質だけを愛しているのだ。(上掲訳書135頁)

パンセ●すべて知った人は無知を知る

パンセ (イデー選書)
パンセ (イデー選書)
posted with amazlet at 14.05.31
パスカル
白水社
売り上げランキング: 426,295

 

パスカルは、無知な人に二通りあるといいます。一つは、産まれたばかりの赤ん坊。もう一つは、全て知り尽くした後に、自分の無知を知った人です。

 その間にある人は、自分は何でも知っているような、知ったかぶりをして、誤った判断をすると、パスカルは警告しています。

 知識には二つの極端があって、それらがたがいにふれあっている。一つは、生まれたてのあらゆる人間のうちに見いだされる生来の純粋な無知である。他の極端は、人間の知りうることをひととおりわきまえたのち、自分が何も知らないことに気づき、はじめの出発点であるあのおなじ無知にかえる偉大な魂の到達する無知である。しかし、これはみずからを知る賢明な無知である。二つの無知のあいだにあって、生来の無知からは脱したが、まだ他の無知に到達していない人々は、うぬぼれの知識をふりまわして、なんでも知ったかぶりをする。これらの人々は世人をまどわし、万事を誤って判断する。(上掲訳書137頁)

« 2015年1月 | トップページ | 2015年3月 »