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西田幾多郎『思索と体験』(1)

思索と体験 (岩波文庫)

 日本を代表する哲学者、西田幾多郎は三十七歳の時、一月には六歳だった娘を、六月には生まれたばかりの娘を失うという悲劇に見舞われました。子どもの面影を思い出すにつれ「無限に懐かしく、可愛そうで、どうにかして生きていてくれればよかったと思うのみ」と告白しています。  周囲の人は、「女の子でよかったですね」「他にも子どもがいてよかったですね」などと慰め、早く忘れるように声をかけましたが、西田本人は、「親はこの苦痛の去ることを欲せぬ」と断言しています。  それほど、子どもの死を悲しんだ西田幾多郎でしたが、苦難に満ちた自分の人生を振り返ると、長生きした方が幸せとは言い切れないと、寂しく語っています。
 世の中の幸福という点より見ても、生延びたのが幸であったろうか、死んだのが幸であったろうか、生きていたならば幸であったろうというのは親の欲望である、運命の秘密は我々には分からない。(中略)生まれて何らの人生の罪悪にも汚れず、何らの人生の悲哀をも知らず、ただ日々嬉戯して、最後に父母の膝を枕として死んでいったと思えば、非常に美しい感じがする、花束を散らしたような詩的一生であったとも思われる。(上掲『思索と体験』233頁)

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