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森鴎外の煩悶『妄想』

妄想
妄想
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(2012-09-27)

 百年前に活躍した明治の文豪、森鴎外は典型的な天才で、少年時代からドイツ語をマスターして、十九歳で東大の医学部を卒業すると、ドイツに四年間、留学して最新の医学を学びました。日本に戻ってからは、陸軍の医師になりましたが、着実に出世して、とうとう最高の位の軍医総監にまで登りつめています。その一方、小説もさかんに書いて、『舞姫』や『高瀬舟』などの傑作を残しました。

 外から見れば、トントン拍子に出世して、エリート街道を突っ走った成功者に見えます。「こんな上り坂の人生を送りたい」とあこがれますが、本人は少しも満足していませんでした。
 森鴎外自身は、「こんなのが本当の人生ではない」と常に感じていたと告白しています。自分は舞台に立たされて、役を演じさせられているだけだと言っています。後ろから、誰かに、学生時代は「勉強しろ、勉強しろ」と鞭で打たれて、医者になったら「働け、働け」と鞭で打たれて、小説家になったら「書け、書け」と鞭打たれて、仕方なく、その役を演じているだけだ、と言っています。もっと他に、本当の人生があるのではないだろうか? 舞台から降りて、本当の人生とは何か、考えたいけれども、それもできない、と言っています。自伝的小説『妄想』で、次のように語っています。
 生れてから今日まで、自分は何をしてゐるか。始終何物かに策〔むち〕うたれ駆られてゐるやうに学問といふことに齷齪〔あくせく〕してゐる。これは自分に或る働きが出来るやうに、自分を為上〔しあ〕げるのだと思つてゐる。其目的は幾分か達せられるかも知れない。併し自分のしてゐる事は、役者が舞台へ出て或る役を勤めてゐるに過ぎないやうに感ぜられる。その勤めてゐる役の背後〔うしろ〕に、別に何物かが存在してゐなくてはならないやうに感ぜられる。策〔むち〕うたれ駆られてばかりゐる為めに、その何物かが醒覚〔せいかく〕する暇〔ひま〕がないやうに感ぜられる。勉強する子供から、勉強する学校生徒、勉強する官吏、勉強する留学生といふのが、皆その役である。赤く黒く塗られてゐる顔をいつか洗つて、一寸舞台から降りて、静かに自分といふものを考へて見たい、背後〔うしろ〕の何物かの面目を覗〔のぞ〕いて見たいと思ひ思ひしながら、舞台監督の鞭〔むち〕を背中に受けて、役から役を勤め続けてゐる。此役が即ち生だとは考へられない。背後〔うしろ〕にある或る物が真の生ではあるまいかと思はれる。併しその或る物は目を醒〔さ〕まさう醒〔さ〕まさうと思ひながら、又してはうとうとして眠つてしまふ。(『妄想』)

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