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疑いがあるから「信じる」

神
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 常識では「信じている」といったら、「疑っていない」という意味になります。しかし、もし疑う余地の全くないころであれば、「信じる」必要はありませんから、「信じている」とはいわずに、「知っている」といいます。「お父さんは男だと信じている」という子どもはいません。  世間一般の宗教で「信じている」といっているのも、「疑い」 の心を抑えつけて「信じている」のですから、そこには必ず「疑い」があるのです。あのマザー・テレサが、神を50年間、疑っていたと聞いても、なんら驚くことではありません。
マザー・テレサが亡くなって何年も経ってから、彼女が五十年近くの間、神の存在を疑っていたことがわかり、多くの人が強い衝撃を受けました。(中略)「かつて幾たびも感じていた神の存在を、内的に実感できなくなった」、そして「あれほどの苦しみを目の当たりにして、たえず疑いの気持ちが湧いていた」と言っているのです。信仰は疑いを許すものであり、疑いは信仰を失わせるものではない、ということですね。(上掲書223頁)

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